読み・聴き・書きクケコ

本と音楽の雑記帳

朝倉かすみ「にぎやかな落日」(光文社 2021)

読み終えて、タイトルの収まり具合の良さと表紙の装丁のうまさに納得。主人公・おもちさんの思考そのものが表紙に写り込んでいる。

80歳代前半のおもちさんは、過去の記憶や思い出と身に降りかかっているさまざまなできごと、体の不具合の今を心の中で行き来しながら一日を終え、明日の幸せを信じる…章ごとに三題噺のような単語のテーマを連ねた一人語りの物語。このテーマが、うまく収まるところも読みどころ。

友だちがたくさんいて、おしゃれで、退屈が嫌いでおしゃべり…60代後半の北海道人なら子どもの頃にたっぷり聞いていた・使っていた北海道弁がおもちさんの日常語。

この北海道弁を自在に使うおもちさんの語りに吸い込まれていくと、おもちさんが語る断片の中に〈そういえば自分の母親もこういうところがあった〉をきっと見つけるはず。それを好意的に受け止めるか否定的に思うのかは人それぞれ。母親との関係の微妙さが反映するところかも。

おもちさんに幸いなことは、実の娘と息子の嫁がおもちさんと接するときはおもちさんを立て、隅々まで手厚いこと。(息子の存在が薄いのは、その裏返しかと勘ぐるほど)

また、自分が興味ないことや関係ないと思っていることには〈ハイハイ〉と返事をしながらまったく聞いていないし、理解しようとも思わない〈ある種、高齢者特有のやり過ごし方〉に、そうそうと相づちを打ちたくなってしまう高齢者の息子・娘は多いのでは…。

反面、昭和初期生まれの両親の心の内を推し量ることが稀な世代にとって、北海道弁を突出させるおもちさんの気持ちを汲むことに抵抗しつつと受け入れなければの気持ちが両方沸き立ってくる。とまれ、北海道弁を多用することでおもちさんのキャラクターが際立っているのは悪い気はしない。

おもちさんのご主人は、若い頃に板金工をしていたが、「ともしびマーケット」でも近い設定になっているので、著者自身に思い入れがありそう。それにしても、あまりにぴったりの北海道弁が使われるのでビックリ。よほど体にしみついていたのか。そして、私の嫌いな〈なまら〉がないのも救い。

「にぎやかな落日」