読み・聴き・書きクケコ

本と音楽の雑記帳

照屋林助「てるりん自伝」(みすず書房 1998)

照屋林助氏が膨大で縦横無尽に語ったことを北中正和氏がまとめた労作。

自伝の中で、「ブーテン先生の思い出」という章立てをして、「芸の上でわたしが大きな影響を受けたのはブーテン先生です」の書き出しから16ページを費やして「小那覇舞天」氏のおもしろさや奇抜さ、功績を綴っています。

エピソードの中で、「戦後ブーテン先生に弟子入りしたとき、そんなわたしを見て先生は、〈君はわたしの芸をしっかり覚えているようだけど、わたしがやっていることをやってもおもしろくない。ただし、そっくりまねることによって、芸の作り方はわかっただろう。だからそこから先は君の発想で新しい芸を作れ〉と言われました」と教わったことを綴っています。

「うたまーい」でも触れましたが、小那覇舞天氏が指導して育てた劇団が「乙姫劇団」になったことも紹介しています。

また、照屋林助氏と同様、もう一人の弟子として登川誠仁氏を挙げています。「彼(登川誠仁氏)が(小那覇舞天氏から)呼ばれるのは舞踊の地謡が必要なときで、わたしが呼ばれるのは、漫談のときでした。誠仁さんはブーテンさんの歌を継承し、わたしはしゃべくり漫談を継承して、歌謡漫談としてやっているわけです。いまは誠仁さんもちゃんちゃらおかしいことをやっていますが、根はものすごくまとも人間で、まじめな民謡や古典をやってきた人なんです」と語っています。

小那覇舞天氏のことは、登川誠仁氏のCD「ハウリング・ウルフ」(1998)の中で、照屋林助氏と二人で小那覇舞天氏の思い出を語りあい、氏の作品「石川数え歌」を唄っています。

「てるりん自伝」「登川誠仁自伝」「うたまーい」を拾い読みするだけでも戦前・戦後から続く沖縄の文化や古典・民謡を含めた大衆文化に触れることができます。

次々に出てくる人の名前やエピソード、功績に圧倒されます。

「てるりん自伝」

ハウリング・ウルフ」