読み・聴き・書きクケコ

本と音楽の雑記帳

小田嶋隆「日本語を取り戻す。」(亜紀書房 2020)

2008年から2020年3月までの色々な媒体に発表した時事コラムをまとめたもの。

〈あとがきにかえて〉の中で、「…私自身は、この10年間を、自分の中の日本語の防衛に専念していた期間だったというふうに自覚している。それほど、新聞に載る日本語が狂っていたからだ。手前味噌に聞こえるかもしれないが、本書は、結果として、この国の政権担当者たちが日本語を破壊していった経過を、詳細に跡づける、他に類例のない記録に仕上がったと考えている」と記している。

政にとの通り。自分の立ち位置や考えを伝えるために、題材に使う言葉の意味をていねいに、分かりやすい例えや事例を用いて説明し、論点外しや間違い、問題点、気分といったことまで自身の頭脳で考え、飽くことのないエネルギーを使い、伝わる言葉・文を駆使して表現している。時間は経過してしまったけれど、どれも今また読み返すに値するコラムばかり。

著者が亡くなってから読み返すことが多くなった作品群は、年老いた脳細胞に刺激を与える言葉がふんだんにあり、時代を見返すテキストそのもの。

本書で一番しっくりきたコラムは、「経済政策を隠蔽する用語としてアベノミクスは役割を果たしている」。引用すると「アベノミクスは、経済用語ではない。経済隠蔽用語だ。アベノミクスは、国民の目を経済の実態やその政策の成否から逸らせるために発明された戦略的目眩ましワードだ。」と書き、個々の政策には名前があり、詳細な説明がある…ところがそれらを総称してアベノミクスとして表記すると説明は簡単にはできない…なぜなら総称は総称でしかなく、その中に含まれている膨大な内実をいっぺんに説明することなどできるはずがない…結果として、いきなり持ち出された総称は、その内部に畳み込まれた未検討の内容をまんまと隠蔽するに至る…。

内田樹氏との対談で、小田嶋隆の凄さの一つに「説明のうまさ」を挙げているが、本書でも確かにそう。

脳細胞が錆びついてきたら小田嶋作品に立ち返る…新しい作品はなくてもいつでも感覚の錆落とし、リフレッシュできる。

小田嶋隆「日本語を取り戻す。」