読み・聴き・書きクケコ

本と音楽の雑記帳

小田嶋隆「小田嶋隆のコラムの向こう側」(ミシマ社 2022)

帯には「稀代のコラムニストの遺稿集にして傑作コラム集」の言葉。

編集部による「まえがきに代えて」で触れているように、このコラム集はウェブ上で発表したものから選んだもの。一部、小田嶋隆さんが語った音源を次のように紹介している。「紙媒体のコラムのほうが、完成品をお届けするという感覚です。ウェブ媒体(で書くコラム)は、よくDVDなんかでメイキング、NG集など…そういうのに近い…完成度は下がるけど、多様な読み方ができる」。

読んでみて思うのは、完成度よりも字数の制約がない分、説明する文が細やかになっていて、書きたい全体像が理解しやすいとうこと。

一つひとつの文は長いけれど冗漫ではなく、切れ味の鋭さはさすが。そしてウェブ上での発表だからなのか、あちこちからの攻撃に備えた説明が多いのは〈今〉では仕方のないこと。

字数の制約がないからこそ書いたコラムだと感じ、ずっしりと重さを感じたのは、岡康道さんへ充てた「夏の雲が立ち上がるのを見上げていたぼくは十六歳だった」と「ジョンとヨーコとフェミニズム」。

「夏の雲…」は読んでもらうしかないけれど、岡康道著『夏の果て』も読むと互いに認め合う2人が築いたことがちょっぴりは判る…ような気がする。

「ジョンとヨーコとフェミニズム」には、2021年に配信された記録映像「ザ・ビートルズ:Get Back」への期待と今後の映像配信と映画館の立ち位置・役割の変化への思いが綴られ、これはこれで一つのコラムか…と。

また、フェミニズムに関しては、心の底から尊敬していたジョン・レノンとヨーコとの関係を学習するように、「ヨーコさんを通してフェミニズムにアクセスできた」ことを幸運だと書いている。

けっこうなボリュームの文だけれど、文末の「私は〈オール・ユー・ニード・イズ・ラブ〉だとかいったお花畑でフェミニズムと出くわせたことを、とても幸運なことだと思っている。二十一世紀の寒風吹きすさぶSNSの中でフェミニズムと対決している人たちを見かけるたびにそう思う。彼らは救われないだろう」は、少年時代にビートルズに出会い、その後もずっと学び続けてきたのだと思うと沁みてくるものがある。

この文の中で、「この5年間ほど、私は、読者をねじふせるみたいな書き方に抵抗を覚えるようになった」という箇所があり、確かにそういう印象を感じていた。

「たら・れば」を言ってもしようもないけれど、今ここにいたらと思う人はそうはいない、小田嶋隆さんのコラムはそんな存在。