読み・聴き・書きクケコ

本と音楽の雑記帳

斉藤道雄「治したくない ひがし町診療所の日々」(みすず書房 2020)

浦河に四半世紀通い詰めた著者だから書けた1冊。

浦河日赤の精神科を廃し、〈ひがし町診療所〉を始めた院長の川村敏明さんとスタッフ、そして診療所に通いながら浦河の町の中で暮らす人たちの苦労と明るさに満ちた奮闘が、著者の目を通して綴られている。

浦河に通い続け、密着してきた著者だから発見する、気づきが随所に描かれている。たとえば、「すみれハウス」の章で、著者が鈴木恵美子さんを車に乗せていたときのエピソードを紹介しているが、「…傍若無人とも思えるふるまいで周囲への気づかいがまるで見られない…その鈴木さんが、私に気を使ってくれた。驚きではなく、ああ、そうなのか、という思いだった。この人には、こんなところがあった。私はそのときはじめて、鈴木恵美子さんという人に〈出会えた〉と思った」と綴り、この文の前後にそのときの状況を書いて説明しています。細かなことだけれど、これは伝えなければという自分で感じた思いが29の章にわたり、しっかり伝わってくる確かな文で明らかにしています。

個人的に嬉しかったのは、「祭りの田んぼ」に出てくる元気な小野寺信子さんに紙面で出会えたこと。浦河町立図書館長で定年を迎えた小野寺さんが、牧草地になっていた自身の田んぼの土地を無償で診療所に提供し、「…田植えや稲刈りでたくさんの人が集まると、小野寺さんは田んぼのすぐ横にある自宅を開放し、みんなにトイレや風呂を使ってもらう。それだけではない。たい焼きやアイスを百人分も用意して子どもたちに配り、金魚すくいやヨーヨー、風船アートまで用意してくれる」と絶賛して紹介しています。

小野寺信子さんは、北海道の図書館全体がまだ貧弱だったころから司書会の先頭に立って実践してきた立役者の1人。小清水町の蝦名さんや斜里町の山田さんたちと一緒に司書会を盛り上げてきたことが今につながっていると思っています。浦河の図書館は、立地の良さや利用者に配慮した設計、安らかさ…いろいろな点で当時の最先端を表現していました。小野寺さんが館長だったからできたことだと思っています。

小野寺さんは、たとえて言えば肝っ玉母さんのように動ぜず、何ごとも受け止め、まわりと一緒になって進んでいく…そんなイメージがあります。浦河の図書館は何回か訪れていますが、べてるの人だと思われる利用者がいても当たり前という印象がありました。

そんな小野寺さんが今もパワー溢れる存在だることを知り、それだけでも書いてあって良かった、そう思います。

それにしても、精神科病棟の入院患者がすべて退院し、町の中で苦労を重ねながらも暮らしている、それを支える診療所も診療所の枠を飛び越えた活動を展開している…著者の目で見た記録は圧巻。〈暮らしていく〉ことに光を当てたタイトルがピッタリ。

斉藤道雄「治したくない」