読み・聴き・書きクケコ

本と音楽の雑記帳

小田嶋隆・岡康道・清野由美「人生の諸問題五十路越え」(日経BP 2019)

小田嶋隆さんと岡康道さんの青春談義、それに清野由美さんが茶々を入れたり話の軌道を直したり…12回の対談それぞれにおかしみや同感を覚える。

個人的には、第1回の「令和に置き去り? 平成を生きた昭和の僕ら」が、今の自分にはしっくりときた。

まずは電話に関して2人の会話から抜粋。

岡「…僕、電話すらが、そもそも苦手…電話が苦手というところからきて、もうだめなものがどんどん増えてきちゃって、困った時代だよ、本当に。」 

小田嶋「俺も電話はあんまり好きじゃない…何かあって岡に電話したら笑われたこともあった…〈おまえ、何だよ、電話なんかしてきて〉と」

ネット上の声に関して、小田嶋さんがマニアックなパソコン雑誌で凡庸な企画をですとマニアから総攻撃を受け、マニアックな企画には絶賛のハガキが舞い込みますが、実際の雑誌の売り上げは凡庸な企画が一番で、マニアックな企画は全然だめだったという事例をあげ、

小田嶋「反応があること、あるいは、反応がないことと、本当の反応とはつながっていない…」

小田嶋「ネットで目立つ反応とか、読者ハガキやメールとかの反応が、見ている人たちの本当の声では全然ないと思うよ。それはたぶん平均値でもないし、中央値でもない。見ている側では、黙っている人たちが一番やっぱり大きい層だよね。」

岡「自分から声を発する人の反応って、そんなにアテになるのかなという思いが僕にはある。」

そして最後に。

小田嶋「いずれにしても、俺らのような五十路を越えてきた中高年がネットとどう付き合うのかという問題と、若いやつがどう付き合うのかという問題はまるっきり別で、若い連中にとってのSNSって、われわれが見ているものとは違う世界だ、という話ですね、ざっくりまとめると。」

岡「だから、無理にみんなと同じ付き合い方をする必要はないんだ、と。」

2りにどうもありがとうを。

岡さんの〈おわりに〉の中に、「…当時、小田嶋が書いた文章の見事さは今もはっきり覚えている。着眼も論の進め方もウィットに富んで洒落ていた。つまり、現在と同じだった。小田嶋は短い文章を書くことについては、17歳で完成されていたのだ。とても悔しいことだが、小田嶋隆の第1号のファンは私であろう」と書いている。後付けになってしまうが、この文が残ることがお2人に幸いだったと願う。

「人生の諸問題 五十路越え」