読み・聴き・書きクケコ

本と音楽の雑記帳

酒井順子「うまれることば、しぬことば」(集英社 2022)

5月12日付の北海道新聞「各自核論」にエッセイストの酒井順子さんが「失言の理由と効用」と題するコラムを寄せています。リードは「ウケ狙い 本音知るサンプル」。

失言はどのような機会に発せられるのか…少し緩めの人前…なぜその手の場が失言の宝庫なのか…「ついウケたくなるから」。

吉野家森喜朗氏を例に取り、失言は貴重な本音の宝庫でもあり、本音を言葉でコーティングしながら人前で発言するようになってきた昨今では生々しい本音を露呈し、垣間見ることができる瞬間。

酒井さんは、話すトレーニングを子供の頃から必要となってくるのではないことと書きつつ、同時に必要なのは「聞くトレーニング」…本音が水面下に潜り、政治的に正しい発言の背後にどのような生々しい本音が隠れているのか、耳触りの良い言葉のコーティングを剥がす能力が必要…と結んでいます。

「うまれることば、しぬおとば」には、「J、活動、卒業、自分らしさ」など時代と共に意味が追加したり、変わったり、廃れたりしている「言葉」を個人や場面、社会の空気など、多くの事例・事象を紹介しながら読み手の感覚を刺激します。

「各自核論」に通じる「ウケたくて」の一文には、「ウケる」という言葉が広まった土壌を1980年代のお笑いがカジュアルな世界となり、お笑いが身近になった頃に求め、笑いを取ることが重要になったとしています。

そして、対比的に政治家のウケを狙ってギリギリの一線を越えた発言を取り上げ、「たとえ差別心を持っていたとしても、それを公の場では口にしないのが最低限のマナーという認識を持っていない」ことに驚き、あんぐりとしたと綴っています。

これは、「各自核論」の最後、ポリティカル・コレクトネス(政治的・社会的に公正な表現、正しい言い方)が広まっていく中での「聞くトレーニング」の重要性に戻っていきます。

酒井順子「うまれることば、しぬことば」